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5月5日の端午の節句、その由来とは? [端午の節句の由来]

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 中国の戦国時代というから、今から約2300年前のお話です。 

楚(そ)の国王の側近に、屈原という政治家がいました。
詩人でもあった彼はその正義感と国を思う譲は強く、人々の信望を集めていました。

しかし、屈原は陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。
その時の想いを歌って長編叙事詩「離騒(りそう)」は中国文学史上は、不朽の名作と言われています。


故国の行く末に失望した屈原は、、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。

楚 の国民達は、小舟で川にゆき、太鼓を打ったその音で魚をおどし、さらにチマキを投げて、“屈原”の死体を魚が食べないようにしました。
その日が中国の年中行事になり、へさきに流の首飾りをつけた竜船が競争する行事が生まれたそうです。

これは今日のドラゴンレース(龍舟比賽)の始 まりとも言われています。

・これがちまき(肉粽=ローツ ォン)の起源です。このようなエピソードから、毎年命日の5月5日の屈原の供養のために祭が行なわれるようになり、やがて中国全体に広がっていったのです。


 国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行きます。

・そして、その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。三国志の時代に端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められ、やがて日本にも伝わって行きました。

◆ところで、歴史の上ではどちらかと言えば些細なこの事件が、このように盛大な祭に発展していったのでしょうか?それは、次のような理由だと言われています。

急に暑くなるこの時期は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かったそうです。
その為、5月を『毒月』と呼び、厄除け・毒除けをする意味で菖蒲やヨモギ・ガジュマロの葉を門に刺し、 薬用酒や肉粽を飲食して健康増進を祈願します。

人々の生きるための切実な思いによるものが、端午の節句が生まれた理由なのでしょう、。


子供の日.jpg
◆端午の節句とは?
日本の端午(たんご)の節句は、奈良時代から続く古い行事です。
端午というのは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、5月に限ったものではありませんでした。しかし、午(ご)と五(ご)の音が同じなので、毎月5日を指すようになり、やがて5月5日のことになったとも伝えられます。

・当時の日本では季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄をさけるための行事がおこなわれていました。この日に薬草摘みをしたり、蘭を入れた湯を浴びたり、菖蒲を浸した酒を飲んだりという風習がありました。厄よけの菖蒲をかざり、皇族や臣下の人たちには蓬(よもぎ)などの薬草を配り、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式もおこなわれたようです。

・五月五日の端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形(五月人形)」を 飾って男の子の前途を祝うようになったのは、徳川時代からです。
五月五日の節句は、五と五を重ねる事から「重五」、菖蒲を用いる事から 「菖蒲の節句」などと呼ばれています。「五」と「午」が相通ずることか ら、初節句を「端午」「端五」(端ははじめの意)と書きました。

・ 菖蒲は薬草で、邪 気を避け、悪魔を払うという昔からの信仰があり、節句 にはヨモギとともに軒にさし、あるいは湯に入れて「菖蒲湯」として浴しました。

・武家時代となると「菖蒲」が「尚武(しょうぶ)」と音 が通ずるために、さかんとなりました。

・平安朝のころから、子供らはショウブで飾った紙のかぶとをつけ、石合戦な どの遊びをしていたそうです。元禄時代(一六八八~一七○四)になって紙や木でつくった 菖蒲人形を庭先に立てるようになり、それがいつしか室内に飾るようになり、人形美術も発達して種類も増えた。

・室町時代から武家では五月五日の端午の節句に、竹竿に布を張り「吹き流し」 を立ててましたが、
江戸時代になって町人階級も紙で作った「鯉のぼり」を竿につけて高く掲げて対抗して楽しんでいました。

コイはもともと威勢のいい魚で、昔から「鯉の滝上り」などと伝えられ、子供が元 気に育つようにという親の願いが「鯉のぼり」にこめられている。

◆端午が男の子の節句になった訳は?

古来おこなわれていた宮廷での端午の行事も、時が鎌倉時代の武家政治ヘと移り変わってゆくにつれ、だんだんと廃れてきました。しかし、武士のあいだでは尚武(武をたっとぶ)の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになったのです。

やがて江戸時代にはいると、5月5日は徳川幕府の重要な式日に定められ、大名や旗本が、式服で江戸城に参り、将軍にお祝いを奉じるようになりました。また、将軍に男の子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝いました。

このような時代の変遷のなかで、薬草を摘んで邪気をはらうという端午の行事が、男の子の誕生の祝いへと結びついていったと考えられます。やがてこの風習は武士だけでなく、広く一般の人々にまで広まっていきます。はじめは、玄関前に幟や吹き流しを立てていたものが、やがて厚紙で作った兜や人形、また紙や布に書いた武者絵なども飾るようになっていったのです。さらに江戸時代の中期には、武家の幟に対抗して、町人の間では鯉のぼりが飾られるようになりました。










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